学校の成績を見て、この子は勉強に向いている、向いていないを判断する保護者の方が多いように思います。
そして、「もっと勉強しなさい。勉強しないとだめな人間になってしまう」、と子どもを叱りつけてしまう方もいらっしゃいました。
勉強やスポーツが苦手ならば、「あなたは何のとりえもないから」と言ってしまう方もいらっしゃいました。
また、当の本人も自分は、勉強に向いていない、何のとりえもないと悲観的に考える子どもたちもいます。
でも、それは早合点です。当然、人間ですから、物事を覚える速さは人それぞれ違います。
もし、子どもたちの能力を決める判断基準が、学校の成績だけならば、それは間違っていると思います。
学校の定期試験はどの生徒も、平等な準備期間が与えられています。
しかし、生徒個々の能力が違い、興味の矛先も違うのに、短い期間で与えられた課題をこなすことだけで、本当に人間の能力を測ることができるのでしょうか。
数学の点数が悪かったら、数学が苦手。英語の点数が悪かったら、英語は嫌い。そういう、思いこみがあるように思えます。
自分自身が、学校の勉強すべてが嫌いだった学生時代から180°かわり、今は学ぶことが心の底から好きになったように。
はたして、点数をつけることによって、本当の意味で物事を理解できたかの判断基準になるのでしょうか。
たしかに、子どもは親に100点をとれば褒められ、20点をとれば、たいてい叱られるでしょう。
でも、この塾では、この地球上に生まれてきて何も知らなかった子どもが20点分の知識を得たことを褒めてあげます。
逆に、100点をとったとしても、テストのときだけしか覚えていないものであれば、注意をします。
大事なのは点数そのものではなく、それぞれの教科で必要なことを、自分のペースで一つずつ確実に理解することです。
それが生きる上では必要なことなのだと思います。
はたして、国語、英語、数学、理科、社会、その他の学問を理解することが不可能な人は本当にいるのでしょうか。
そもそも、学問に向き、不向なんてあるのでしょうか。
本を開いて知識を得ることは、文字を読める人なら誰でもできるはずです。
それがどんな本であっても、その人にとっては学問なのではないでしょうか。
学問はすべての人々に開かれたものです。いつでも、どこでも、自由に学ぶことができるのです。
学歴がないからと、学問をあきらめる人がいます。また、学歴があるからと、それだけを自慢する人もいます。
どちらにしても、学ぶことをやめてしまう人が多いように思えます。
私からすれば、これはとてももったいないことだと思います。
人生は長い。学問をするということに、期限をもうける必要はありませんし、強制も必要ありません。
人間が生きる上で必要なことがあれば、それを一生懸命に学べばいいのです。学問に遅い早い、これをやらなければいけないはありません。
教育とは、たくさんの知識を与えることではありません。
子どもたち一人一人の心に、どんなことでも努力すれば成し遂げることができるという気持ちを植え付けてあげることです。
学問のすすめで学んだ生徒は、学問の本質を学びます。
学問のすすめで学んだ生徒は、人生の本質を学びます。
学問のすすめで学んだ生徒は、一生学び続けるでしょう。
学問のすすめで学んだ生徒は、自分の人生を自分の力で切り開いて行くでしょう。
人生の学問を教える塾、それが学問のすすめです。